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ザ・コッツウォルド・ハウスの歴史
〜時代と共に歩んできた荘厳な建造物〜
一目惚れを信じる者は、ウェスティントン・ヒルからチッピング・カムデンを眺めるべきであろう。
R. P. Beckinsale (1939)
ザ・コッツウォルド・ハウスは、イングランドで最も美しい街の一つとして知られているチッピング・カムデンの風光明美な一画にあり、その窓からは17世紀建造のマーケットホールを見下ろすことができます。またこの建物はその全てがコッツウォルズの特徴あるハチミツ色の石材で作られており、その外観からも1,000年以上に渡る邸宅の長い歴史を感じる事ができるはずです。
チッピング・カムデンのカムデン(もしくはカンパーデーン)の語源はもともとサクソン語で「草原が広がる渓谷」を意味しています。このカムデンの名称については、1085年度の土地台帳内に「ノルマン人のイングランド征服以前に、カンパーデーン(カムデン)の領地がハロルド王に所有されていた」と記録されています。
また1185年前後に、この土地は「ボロー」(自治区)としての認可を受け、現在のメイン通りに新しくマーケットが設立。さらに13世紀初期までには、マーケットのエリアは「セピンジ・コーンペデーン(または「マーケット・カムデン」)と呼ばれるようになり、14世紀にこの地域は羊毛産業の発展と共に村として急成長を遂げます。
ザ・コッツウォルド・ハウスは1930年代後半からは宿泊施設としての用途のみで使用されてきましたが、建物自体は中世時代からこの敷地内にありました。そのためホテルの地下室には当時の構造や井戸などの名残りが残されています。

今日見られる建物の原形は当時富裕だった商人リチャード・マイルズによって1802年に建てられたもので、彼はチッピング・カムデンの代表的存在として村人から信頼を集めていた重要人物でした。彼は今の建物を建てるために、オリジナルの建造物を取り壊したと言われています。
独立した縦みぞ彫りのトスカーナ風円柱が外観を際立たせ、中央の柱廊式玄関を入ると壮麗ならせん階段が目の前に広がるマイルズはすぐにこの印象的なリージェンシー様式豪邸の壮大な改築計画を実行しました。彼はまたリースボーンにある北東のテラスを改築し、この場所を彼の名を取り「マイルズ・ハウス」と名付けています。彼がこの塔を大変気に入ったためか、マイルの死後彼はこの塔の下に位置するセント・ジェームズ教会南の中庭にある祭壇型の墓地に埋葬されました。
マイルの死後、19世紀末にこの邸宅にはスミスさんという博士が移り住んできました。彼の息子であり、後のハリウッドスター、オーブリー・スミスはここで誕生、この地で英国式の中等教育を受けていた事が知られています。スミス博士の助手はキングスアームズの隣にあるオーブリーハウスに住んでいました。この二つの建物の間の小さなコテージ(現アシュビー、グリグス、キフツゲート、ヒドコート・コテージ)は診療所として使われていたところです。ここには今でもオーブリー・ハウスへと続く、閉ざされた出入り口もご覧いただけます。
これらのコテージ郡はオーブリーハウスよりも歴史が古く、元々はハイストリートを望むノエルアーズ・アーチ側のコッツウォルド・ハウスの荷馬用路地に面していたと考えられています。
またホテルに隣接していたチャールコート・ハウスは1960年代に購入され、その後ホテルは増築が施されます。(現在この1階部分はヒックス・ブラッセリ−)チャ−ルコート・ハウスは1650年に建造された、建築学上大変複雑な作りの邸宅です。ここにはかつてエリザベス時代風の窓が付けられていましたが、1933年にわずか100ポンドで売却されてしまった為、この窓にぴったり合う切石が18世紀後期に設置されています。しかしながら、それ以外の本質的な特徴は全くそのままに残されています。
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